2010年4月25日日曜日

春うらら




暖かくなったり、真冬の寒さになったり今年の天候は安定しませんが、春の風情を求めて近郊を廻ってみましたのでそのご報告。


1枚目の写真は三島大社での1コマ。首をいっぱいに伸ばして甲羅干しをしている亀ですが、満開のしだれ桜の下ではまるで花見を楽しんでいるかのようです。のどかな昼下がりの雰囲気ですね。
もう1枚は東秩父の山里。ここは春になると「花桃の里」として山一面がピンク色に染まって見事な景色がみられるのですが、この日はあいにくの雨。真っ白な梅の花、黄色い連翹の花、そしてピンク色の桃の花が霧に煙る山々をバックとして咲き乱れ息を呑む光景でした。
春は着実に進んでいました。


2010年4月16日金曜日

最近の離婚の特徴

家裁での離婚調停の現場に立ち会っていて驚くことのひとつが「親子べったり離婚」の増加である。
「自分の実家の意向ばかりを気にする(親離れができていない若夫婦)」「金も口も出す元気な親」「不況で収入が少なく将来の見込みがない夫婦」という条件がそろうと即離婚話がでてくる(「いきなり離婚」というらしい)のが現代である。
いつの時代でも若夫婦と実家の親との距離の保ち方はたいへん難しいもの。ものわかりのいい分別のある親であれば未熟な若夫婦をやさしく見守っていくのだろうがそれは理想論。
「子はかすがい」といわれ子供が接着剤の役目を果たしていることをいわれた時代もあったが、それは過去の話。今の親は経済力も体力もヒマあるので子供のめんどうをみるのは平気である。むしろ娘と孫を自分のもとに「取り戻し」、女3世帯で暮らすことが快適ですらあるようである。
そうかと思えば息子の嫁の言動が気に入らなくて息子に離婚を迫る親もいる。それに唯々諾々と従う男も問題ではあるが。
離婚そのものは夫婦のどちらかが反対すれば成立しないが、周囲との人間関係が悪化したままではあかるい家庭を築いていくのは至難の業であろう。
結局は夫婦お互いが成長して周囲の雑音を気にしなくなるのを待つしかないのであるが、現代における価値観の混乱、若夫婦の経済的苦境が家庭のありかたにまで影響を及ぼしているのである。

2010年4月11日日曜日

本日は墓参り

本日は家内の実家のお墓参り。場所は東名高速御殿場インターを下りて30分、富士の裾野にある富士霊園。前日の天気予報では今日は曇り、午後雨とのことでしたがこれがおおはずれ。快晴の暖かい日となった。広々とした富士霊園の園内は桜の名所でもあり、例年この時期はたいへん混みあう。
早めに出発して9時ごろには到着だったので花見客もまだ少なく、ほぼ満開の桜をゆったりと満喫しての墓参となった。雪を抱いた富士山の山頂部分は雲に隠れていたもののよく見渡せた。
墓参後はそのまま東京へ帰るのではなく沼津に向かうのが我が家の行動。
沼津港にある双葉寿司へ行ってうまい寿司を食べるのである。
港の一帯には寿司をはじめ海鮮を食べさせる店が集まっており、地元の人はもとより我々のようにわざわざ東京から食べに来る人も多い。
双葉寿司とはもう25年以上のつきあい。なんといってもその日とれたばかりの新鮮な魚を食べさせてくれる、新鮮な魚本来のもつ甘さを味わえるところである。ここの寿司の味を知ってからはもはや東京の刺身や寿司が食べられなくなった。
カウンターに座って「本日のお薦め」と黒板に書いてあるものを一通り注文。今日は鯛と貝類、げそがおいしかった。
たらふく食べて一人6000円。決して安くはないけど、満足度は最高だった。
沼津の人がうらやましい。

2010年4月5日月曜日

桜満開


私の住んでいるたまプラーザは道路の両側が桜並木になっています。昨日には満開となり大勢の人々でにぎわいました。みなさんカメラ持参で美しい花を収めていました。

かくいう私もこれまで桜はたくさん撮影してきたのですが、美しい花をただきれいに撮るだけでなく最近は自然と人との係わりにおもしろさを発見しています。

添付の写真は有名な靖国神社での夜景ですが、ライトに照らし出された桜と屋台のコントラストをねらってみました。屋台の看板やうごめいている人々の人間くささ(猥雑さ)が美しい桜と対照的だと思いました。
話は変わりますが、部屋を片付けたところ大量の書籍が不要となりました。少年少女世界文学全集全50巻や日本文学全集全50巻、ドリトル先生シリーズ全5巻など処分してしまうには惜しいものばかりです。古本屋にもっていっても今の時代引き取ってくれるかわからないし、困ってネットを探したところなんと日本財団が其の手の書籍を引き取っていて、中国の日本語の学習者用に大学や図書館に送っているということがわかりました。さっそく電話して確かめたところ宅急便で送付してもらえればたいへんありがたい、との返事。部屋が整理されたうえに文化交流の役にもたてて万々歳。